川崎市の老人ホームで起きた殺人事件に思う 

                       居宅介護支援事業所武蔵野  江口 徹

 去年(2015年)川崎市の老人ホームで、入所者の男女3人が相次いで転落死するという痛ましい事故が起きました。時間の経過と共にそれは事故ではなく殺人事件であることが明らかになりました。殺人容疑で逮捕された男性は、その利用者を「手がかかる人だった」、また「ベランダまで誘導し、男性を抱きかかえて投げ落とした」といった供述をしています。 

私は事件を知り、介護に誇りを持って一生懸命働いている人が圧倒的に多いのに、またかと強く憤りを感じました。介護のいかなる状況にあっても、暴力や虐待、まして殺人なんて絶対許されることではありません。

大多数の人たちが誠実に介護に取り組んで働いているとは言え、この事件は現在の介護事業が抱えている問題を浮き彫りにしています。

  

◇介護現場と現状

現在、老人福祉施設は数多くありますが、ほとんどの施設において以下のような状況が見られます。 

施設利用者の中には絶えずスタッフを呼びつける人、自分が不安で判らなくなってしまった人、大声でわめき散らす人、思うようにならないとスタッフに手を上げてしまう人など様々です。家族の方々も生活に追われ、なかなか面会に来る時間を取れない実情もあります。

利用者の個々のベッドには呼び出しコールが設置してありますが、夜勤の時は日中よりスタッフが少ないのにコールが集中します。認知症の進んだ利用者が夜間ひっきりなしに押すこともしばしばです。夜勤スタッフは、そのたびに対応しなくてはなりません。 

就寝前に服薬が必要な人もいます。他にも1人で10数人の利用者のおむつ交換や見守りの業務をこなします。勤務は午後16時半から翌朝9時半までの17時間。仮眠時間(2時間ほど)がありますが、あくまで仮眠、利用者が落ち着かない夜は仮眠をとれないこともあります。

 忙殺されて、つい雑な態度を取ってしまうと、利用者も興奮します。互いのイライラのせいでますます悪い状態になります。そこをうまくケアするのが専門職としての重要な意味です。しかし、そうであっても、夜勤の時間帯はスタッフが少ないのにやることは多いためストレスがたまります。夜勤の仕事は体力的にも精神的にもかなり重労働です。スタッフの中には夜勤はしないという条件で勤務している人もいるので、限られたスタッフ達が順番でやっているという現状もあります。

月に4回〜5回の夜勤、早番、遅番のシフト勤務をこなして、手取りが約20万円。ひと相手なので記録などの業務は後回しにすることもあります。定時で上がれないこともあります。

当初の介護の道を志した気持ちや思いはいつまで長続きするのでしょうか・・・。

こうした中で、皆が頑張れるのは、主任や先輩からの指導、教育、仲間同士の気遣い、思いやり、配慮、励ましがあるからです。人間として働く目的、ビジョンも欠かせません。もし、こうした思いやりある指導や援助を受けられる環境がなかったら、耐えていくこと自体がとても難しいものとなります。

 

◇ 介護業界は離職率が高い・・・なぜでしょうか。

離職者があとを絶たない理由の一つは「給料が上がらない」、「給料が少なくて結婚できない、子供を養えないから」です。その補充もなかなか見つからないので、残ったスタッフ達が、過重労働を強いられます。やがて燃え尽き症候群 となり辞めていく人がでます。中には精神的な薬を飲みながら仕事をしていた人もいました。また、処遇の改善が見えないため介護に見切りを付ける人もいます。

今後景気が回復し、4年後の東京五輪に向けて景気がさらに良くなれば、必要とされる人材は他業種に流れていく可能性が強くなります。中・小規模の介護施設では、人員が足りず、研修にも行けない、人材不足や介護のプロを育てられないという現状を変えることがますます困難になります。

日本政府は「一億総活躍社会」の実現に向けた緊急対策の柱として、介護サービスを利用できずに家族が離職するケースをゼロにする「介護・離職ゼロ」を目標に掲げていますが、「介護職員・離職ゼロ」が優先されるべきだと強く感じます。介護サービスを今支えられていないのに、将来支えられるとは到底思えません。

団塊の世代の受け皿として、やみくもに施設を増やしても箱物自体が無用の長物となる可能性があります。

人材が来ないからと言って安易に外国人に頼れば良いとも思えません。日本は自国を自国で支えらないのでしょうか。本当に策は出尽くしているのでしょうか。

日本の未来がかかっている大切なことです。皆でよく考えてみなければなりません。

まず、「介護職員・離職ゼロ」を進めるため、喫緊に介護職員の給与の見直しを行い、既存の介護職員離職へ歯止めを掛けることが最重要だと思います。日本が日本を支えるため、そして、これからのセンター事業として魅力のある待遇になることを切に願います。

 

◇ 介護は雇用の受け皿?

介護職は無資格で働ける現状もおかしな話です。介護は誰にでもできる仕事ではありません。利用者や家族は私達に命を預けています。対応する私達が知識、技術、誠意を持って初めて現場を任されるのがあるべき姿です。しかし、・・・

人手不足のため入職したての経験のない素人が、何もわからないまま現場に放り出されることもあります。これは「ハンドルを握ったことがない人が無免許で車の運転をすることに似ている」と思います。特に高齢者の“変化”は突然起きるので、対処することが実に難しい。その現場に経験もなく放り出された新人スタッフは気の毒です。

今回の川崎市の老人ホームの事件は、個人の責任だけでなく、働く職場の体質が関係していると思います。おそらく施設全体に虐待が日常的に、ごく当たり前のように行われていて、逮捕された男性は「俺だけじゃない。他の奴もやっていた。何で俺だけなんだ。」と言っているように見えました。劣悪な環境の下で集団心理が働き、感覚麻痺に陥っていたと思われます。しかし、そのような背景を考えてみても、またどのような背景にあったとしても、殺人は重大な犯罪であり、許されないものです。たとえ当人が後悔しても、もう取り返しはつきません。後悔では遅いのです。逮捕された男性は一生、犯罪者であり、その汚名を負わなければなりません。変えることはできないのです。

介護保険制度は入所する利用者3人に対し1人以上の介護職員の配置が義務づけられています。これが大きな理由と思われますが、施設側では人材を十分に選考する余裕がありません。頭数をそろえるため、応募があれば介護に適任かどうかを十分に吟味することができずに雇わざるを得ない実情があります。

施設という特殊な環境では利用者を弱者とみなすような介護者がいた場合、その考え方が偏って行った先には、社会通念では非常識に思えることであっても、まかり通るようなことが起こってしまう可能性があります。そのような事態を防ぐためにも、介護職は烏合の衆(烏の群れのように統一も規律もなく寄り集まった群衆)であってはいけないのです。命を預かり生活を守る仕事が、誰にでも働けるような「雇用の受け皿」であってはなりません。

不景気になると一時的に宿を借りるヤドカリのように介護を選択する人もいます。「仕事がなかったら、最悪介護をやればいい」と介護を軽く見る人がいます。これでは困ります。ケアを受ける利用者も気の毒ですが、教える側にも迷惑です。こういう人は初めから真剣にやる気がないのでミスも多く、仕事もなかなか覚えず、長続きせずに短期間で辞めてしまいます。スタッフが定着せず、らせん階段のようにグルグルと入れ替わっている施設もあります。教える人は、「この人もまた辞めるのかとつい思ってしまう。入れ替わりだと労力を注ぐ側が疲れる。だったら自分でやった方がいい」と業務を背負い、更に疲弊していきます。真面目な人が一番損をしているように思えます。職員の定着がないとサービスの質の向上、介護の底上げは出来ません。

行政に対して思うことは、介護の分野でも医療と同じように、一定の教育を受け、資格を取得してから働くように、制度を確立して欲しいものです。


医者、看護師に成るためには専門学校や大学で学び、試験を経て資格を得ますが、介護では働きながら資格を取る方が多いです。介護の実務経験3年以上で受けられる国家資格には「介護福祉士」があります。しかし介護現場ではそれ以上の資格はなく、なぜか「次はケアマネだね」と言われ、目指す資格はマネージメントに移行します。それは直接の介護現場から離れていくことを意味します。現在はこれが資格を取る流れです。

全国の現場で働くスタッフには「介護の現場が好き」、「ケアマネの資格は持っているけど現場で働きたい」、「ケアマネ取れって言われるけど、取ったらケアマネやらさえるからあえて受けない」という方も多くいます。

政府は医療保険がひっ迫している事情から、療養病棟の廃止、医療ニーズの軽い方は介護施設へ移行するという流れがあります。受け入れには「医療行為が出来る介護福祉士」が必要になります。介護現場で現在働いている介護士が、介護福祉士として活躍できるように段階的に資格を取得する方法やその資格に対する手当て等を設けるなら大きな助けになるはずです。介護職員の資格取得への意欲、スキル向上、社会的地位も上がります。世の中の評価も変わり介護の仕事に魅力を感じる助けになります。人材が介護へ向くことに繋がります。制度を確立することを通して、現場で働く意欲を高め、介護職員が実際に生活する上での助けになります。

 

◇ 入所施設の自立支援に関わる矛盾 

介護保険は要介護状態区分7段階に分けられ、要支援は1,2の2段階。要介護は1〜5の5段階があります。数字が増えていくことで、身の回りのことが出来なくなることを意味し、いわゆる「介護の手間」が多くかかるようになると考えられています。ですから、入所施設の場合、要介護度が上がると料金も上がります。

 介護には「自立支援」という考え方が根幹にあるのですが、ここに矛盾があります。

例を挙げると・・・・

ある利用者が「要介護4」で入所しました。当初はオムツをしていましたが、本人より「トイレに行きたい」と要望があり、介護スタッフがトイレへ案内をすることで、オムツからトイレで排泄が出来るようになりました。

本人から「ここへ来て良かった、嬉しい」と、介護スタッフも喜んでいたのですが、次の介護保険の更新で「介護の手間が減った」と見なされたのか、要介護度3と、ひとつ介護度が軽くなりました。

介護保険制度には「要介護状態となっても、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう支援する」と謳っています。人は「介護してもらえる」より「自分でできる」方を望むはずです。そのように助けることこそ介護の意義です。

  しかし、そのために収入が減ってしまう施設では、介護職の給与を下げればよいのでしょうか。もちろんそうではありません。もしそうしたら、利用者の自立支援に努力している介護職の方は自分の首を絞めていることになります。

自立支援を考えず、食事、排泄、入浴のニーズに対応するためだけのサービスと割り切った働きであれば、施設としては利用者のことを考えずに済みます。しかし、人間の尊厳はどこにあるのでしょうか。自立支援をしないなら、何のための施設でしょうか。

質の高いサービスは望ましいものです。しかし、それはさらに介護保険料を国民が負担することを意味します。今は過渡期と言えるかもしれません。人間としてのあるべき姿、意義をよく考え、ふさわしい方法を見つけ出す必要がありそうです。これにはみんなの知力と協力が欠かせません。


  以上、個人的な思いを書いてみました。

   ヨコタホームでは、より良い介護環境を目指し、問題意識を持って、日々改善に努めています。虐待が起きるような風土をつくらないことは当然のことです。 

   現場では、より質の高いサービスを提供する目的で、毎月、主任の指導の下で勉強会が行われています。現場職員と話をする場を多く設けることにより、互いの理解、意思の疎通を向上させ、一人で考え込まないようにしています。主任や先輩からの指導、教育、仲間同士の気遣い、励ましが行き渡るように努力しています。

   スタッフが介護職という専門職をよりよく理解することにより、また介護という仕事に専念できるようにすることによって、今後も利用者の生活がより安全で心地よいものとなるよう取り組んでいきます。

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