東京都世田谷区出身です。その後、ほぼ、埼玉県で育ちました。勉強は苦手でしたけど、スポーツが得意な子どもでした。でも、泳ぎはダメで、金づちでした。小中学校では、野球をしていました。肩と肘を壊して、野球を断念。ちなみに、中学最後の打席は、止めたバットで、三振でした。今でも、振り切ればよかった・・・と後悔しています。優柔不断な中学生でした。高校と大学ではラグビーをしていました。大学生の頃、試合前に、色紙に決意を書くというのがありました。「武運長久」なんて書いた記憶があります。古臭い、学生でした。どちらのスポーツでも、大した選手では無かったですが、心を一つにして戦う、チームスポーツが好きでした。

ヨコタホームに来る以前は、不動産業、給食業を経て、介護職員でした。「介護をやろう」と思ったきっかけですが、・・・大学では、児童福祉学科で学んでいました。いろいろな福祉の中でも、老人介護は私にとって一番遠いものでした。当時の私には、高齢者に対して、明るく、前向きなイメージが持てませんでした。当時、生意気な学生だった私は、「絶対に介護はしない」と言っていました。

 給食業の時に、特別養護老人ホームに出入りをしていました。もともと、福祉の仕事をしたいと思っていましたが、実は福祉の大学を途中で辞めた私は、福祉の仕事に背を向けていました。未練はありましたが・・・その老人ホームで「髪の黄色いお兄ちゃん」(当時、私は金髪に近い髪の色をしていました)と高齢者の方に、気さくに声を掛けられていました。

 理由は、わかりませんが、なんだか嬉しかったのを覚えています。そして、自分も福祉の仕事をしているような気分になりました。大学を辞めたくらいで、一度は、あきらめた、福祉の仕事でしたが、前向きになってきました。

 学生時代、あれだけ、嫌がっていた老人介護・・・その利用者の方達が自分に、再挑戦の意欲を与えてくれるとは・・・・それが、介護職へのきっかけでした。

 現在の私ですが、ヨコタに来て、2年と半年が過ぎました。ケアマネジャーとして、安全、快適、笑顔、目配りをモットーにしています。ケアマネジメントとは何か?どのようにすれば上手く行くのかを常に考えています。

 御利用者さまの事を一番知っているのは御家族です。いろいろと教えて頂く事があるかと思います。その時は、宜しくお願いします。また、御家族様も、希望・要望がありましたら、遠慮なく、御伝え下さい。御家族とヨコタホームが一体となって、御利用様を支えられたらと思っています。


                      
      

         横田基地友好祭で撮った写真から     鈴木健 課長補佐兼ケアマネージャー


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